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くらげ、本田海鼠に改名か? 

う~ん、う~ん……

現在久々のストロング二日酔いにヤラレております。
お父さん、お母さん、ごめんなさい。
今、ボカァ生きていることをとても後悔しています。

思えば夕べ、軽い気持ちで相棒にデンワしたのが間違いだった。
キホンてきに長電話がキライで、いつもだったら、
「ン、ン、ン、ン、」
とか
「ア、ア、ア、ア、」
とかゆってる間にものの数十秒でハナシは終わるのだが、
五年に一度くらい、なにかの歯車がビシッと噛みあってしまい、
果てしないロングトークをしちまうことがある。
夕べは互いに酒を飲み始めていたのがマズかった。
いつしかハナシは全方位360度3D大パノラマ状態に発展し、
下品、バカ、知的、極論理想論、誇大妄想、罵倒罵り合い、
オールジャンルミクスチャーの阿鼻叫喚デスマッチトークとなった。
そして最終的に二人ともデロデロに泥酔し、もー何言ってんだかワケわかんなくなって、すべてのハナシに何の結論もだせぬまま、
「ほめれってのはのは。てれんげてれんげ。じゃあな。プチン。」
と、もはや人類の言語を放棄して受話器を放り投げた時は、
会話開始から九時間が経過していた。

そして、

目覚めると世界はぐりんぐりんおやぢと化していた。
あまりのキモチわるさにトイレに這って向かうも力尽き、
キッチンのフローリングで数時間ナマコになる。
はじめはヒンヤリとして心地よかった床の温度も、
まもなく瀕死のワシの体温を容赦なく奪いはじめ、
(……イガン、このままでは自宅内遭難してしまぐ……)
と、ぷるぷるしながら思うも、ナマコ化したカラダは、
のたり と転がったままゆーことを聞いてくれない。
それでもどーにかこーにか全身の収縮運動でベットに這い戻り、
そのまま十五回ほど死亡した。

やがて溶けていたホネも固まり、首も座り、手足も生え、
ナマコから両生類、そしてなんとか二足歩行も可能な程に進化して、
よーやくこうして言語を操る人類へと生還できたのである。
世界初!根性のリアルタイム二日酔い配信。
どーよ?

だがしかし、

体液のほとんど全てを搾り出してしまい、荒廃した我カラダの復興を目差し、先程決死のカクゴでコンビニへと赴き購入した新商品、
「カロリーメイトゼリー・アップルテイスト」。
今これを食したワタクシは、再び便器と熱き抱擁を交わす間柄に戻りつつある。

こいつあスゲエ。
どこをどーとってもリッパな“ゲロ味”です。

それではみなさまサヨウナラ。

エロエロエロエロエロエロエロエロエロエロエロエロエロ……

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くらげ、ぱーにかえる 

………

まぽーん!
ぬまーんぬまーん!

のああああああ肩凝ったあ!
あ、
お~い、ばかぶんフリークのみなさ~ん、
終わったよお~。もー大丈夫だよ~。
おいでえ~おいでえ~。

ちゅーワケで通常クダゲニッキ復旧でござーま。
ばかぶんフリークのミナサマには、
おわびにバカ度当社比30%アップでし。
びよよよよ~ん。
30%アップなので、こーゆーばか擬音が脈絡なく出てきます。
ややの?
“ぼくのなつやすみ”…シリーズで感動した、とゆーミナサマ、
もーしわけない。基本はこーゆー輩でし。
でも最後まで読んで、「あれ?オチは?」とか思いませんでしたカ?

いや~やっぱりばかぶんはいいなあ。
お脳ほとんど使わなくってすむし。
ほとんどひらがなカタカナでいーし。
ほ~ら、文面のしろいことしろいこと。
ひぽぽぽ~ん。

そもそもね、今回の“ぼくのなつやすみ”…シリーズも、
オキラクばか旅日記のノリで書くつもりだったんだけど、
なんかしらねーうちになんちゃって文豪くだげが降りてきちゃって、
なぜか突発的小説風文体になっちまった。
ぽちょーん。
で、とーぜんそんなの長続きせず、後半かなりパワーダウン。
書きたいことをコンパクトにまとめるコトもできず、
ものすげえ長文になっちまったし。
こんななげーのちゃんと読んでもらえたんだろーか?

でも、書いてあることは、
ハナシがわかりやすいように時系列を入れ替えたり、
多少ディフォルメもしとりますが、
すべてノンフィクションでアリマス。
どちーん。
出てくる会話もほぼそのまま。
どーだい?まさにロマン汁だくだくだろう?
こんなまるでエーガのよーな旅しちまったもんで、
おもわず小説風になっちまったのでえす。
もじょ~ん。

つかれたからこれからはしばらくばかでいよっと。
うぃ~んうぃ~ん。


ああ、大丈夫だ。私の“クダゲゴコロ”はまだ死んでいない。

“ぼくのなつやすみ”はもういらない ENDROLL 

後書き……になるのかね?

自分のハマリやすい性格上、プレステ2など手に入れた日にゃ、仕事もせずメシも食わず一歩も外に出ず、ひたすらTVの画面と向き合い続ける事になるだろう。100%の自信をもってそー思えるので、その手のモノには“いげねえ。絶対手ぇだしたらなんねぇ”とゆー掟を作っていた。
だがその誓いは、ワシの琴線を揺さぶるみりき的なソフトが発売されるたび、大きくぐらつくのだ。中でも最大のピンチだったのが、この“ぼくのなつやすみ”シリーズだった。これにはかなりの勢いでやられ、真剣にプレ2の購入を検討した。コイツは男ゴコロ、そして死にきれずに残っているコドモゴコロをピンポイントでくすぐる、禁断の最終兵器なのだ。ワタシの周りでも「そう!これ!やったよなあ~こーゆーの。なっつかしいなあ……」と、ヒゲのイカツイおっちゃんどもが、遠い目をしてハマリまくっている。

だがある日、ふと思った。
おっちゃんどもが昔を懐かしんでハマルならハナシはわかるけど、
(それもよく考えるとかなり後ろ向きでブキミだが)
こーゆーゲーム、コドモはどーゆー気持ちでやってるんだろう?
いや、普遍的なコドモアソビをシュミレートしてるんだから、絶対ハマルはずだ。ひょっとしたら、マジで夏休みじゅうモニター内に繰り広げられるバーチャルな野山を駆けずり回っているかもしれない。
でも、それってどーなんだ?
その子達は本物を知ってんのか?

こりゃいけねえと思いましたね。よくバイオハザード系の残虐性の高いゲームが槍玉にあがってるけど、そーゆー「明確なウソ」とワカるものより、こっちの方が始末が悪い気がする。
今回の旅で体験したよーに、ちょっと田舎に行けば、まだまだそんな景色は沢山残ってるし、いくらでもコドモアソビは出来る。なのに、バーチャルの代理体験の方が先にきてしまう。あるいはその方がお手軽で良い、濡れないし汚れないしサカナコワくないし、などと思っているかもしれない。
SCENE4でも少しふれたけど、そこには肝心の手触りがないんだよ。風や水の温度も、登る木の感触も、捕まえた虫や魚が手の中で暴れる力強さも。
しょせんはカタログ。見ただけで、やった気になってはイケマセン。
コドモにそーゆーカンチガイをさせちゃイケマセン。
“ぼくのなつやすみ”は、そっこくR指定ロマン汁おやぢ専用にしたほーがよい。わたしゃもーいらないケドね。


この旅で見た印象深い風景の数々は、ワタシに大きな影響を与え、そしてその中心には、いつもコドモたちがいた。
正直、“コドモ”という存在について、ここまで深く考えたことはなかった。これまで、ワタシの目に映っていたのは、都市の中で流れてゆく子供という“記号”でしかなかった。だがひとたび都市を離れ、今回のようなプリミティブな旅をしていると、子供達は明確な“個”を持って、生き生きと風景の中を動き始める。そこには“~の子供”というフィルターは存在しない。せーやはせーやであり、まあやはまあやでしかないのだ。オリジナリティあふれる、ひとつの人格を持った“コドモ”。その彼らのユニークな発想、微妙に揺れる感情に、ワタシの心はキッチリと捕らえられてしまったのだ。

何度でも言うが、やっぱりコドモはスゴイ。
我々が学ぶべきコトは、山ほどある。


せーやのコドモゴコロは、それが自然な流れであれ、不条理に押しつぶされてしまうのであれ、あと数年で消えてゆくだろう。せっかく見つけた、新しい旅の相棒は、すぐにいなくなってしまうのかもしれない。悲しいけど、それはそれでしかたがない。彼は自分自身のフィールドを見つけて生きてゆくのだから。
でも、願わくば彼の中でこの旅の風景が、とりわけ押さえていた自分を解き放ち、水をぶっかぶりながら絶叫したあのシーンが、思い出深いものとしていつまでも残っていて欲しい。
ロマン汁おやぢの、勝手な感傷ですが。


ありがとね、コドモたち。

“ぼくのなつやすみ”はもういらない SCENE4 

ー “コドモたち”の風景 ー

私は最近、コドモがコドモでなくなるプロセスを目の当たりにしたことがある。成長と共に幼さが抜けてゆくのではない。自分ではどうすることも出来ない世の中の不条理にやられて、その子はコドモで居られなくなっていった。

いつからこんなに“枯れた”子供が増えたのだろう。
くたびれた大人達と同じ様な目をした子供が増えたのだろう。

“あたりはばからずはしゃぐ”
“くだらないことをしゃべりまくる”
どれも普通のコドモがあたりまえに持っている習性、ある意味コドモの仕事だ。しかし、これらは公共の場において“迷惑”に該当する。極端な事を言えば赤ん坊ですら、その泣き声はこの社会では忌み嫌われる迷惑行為だ。自分ではどうすることも出来ないというのに。
「……静かにしなさい。」
そんな時親は、周囲の批判の視線に、そう子供を諭すしかないのだ。

仕方がない。現状がそういう仕組みになっているのだから。正しくない事だと判っていても、それにあらがっても幸せになれない。そんな話は世の中腐るほどある。そしてその狭間で、自分では理解する事も出来ないまま、静かにコドモゴコロは死んでゆくのだ。
甘いお菓子や楽しげなオモチャはたんまりある。でも、この社会の本質は、つくづくコドモに優しくない。

最近、思いきりはしゃぐコドモたちをほとんど見かけなくなった。


「……う~ん、う~ん 」
「…………どわあああああ!アッチイイイイ!」
午前八時、凶暴極まりない真夏の太陽は、その威力を遺憾なく発揮し始め、行き倒れも同然の酔いどれ二人を容赦なく焦がした。脳の99%を眠らせたまま、本能のみで灼熱地獄と化した寝袋を脱出し、フラクタル曲線を描きながら木陰を探し当て、そのまま トサリ と倒れ込む。相棒はその気力すら残っていないのか、相変わらず炎天下の寝袋でう~んう~んと唸っている。
ヤナギの幼木が作る木陰は頼りないものだったが、日なたに比べれば天国に等しい。再びシアワセな眠りに今まさに落ちんとす、というところで、まあやのムキダシコドモ声が1.5khz18dbフルブーストで私の脳髄を引っ掻き回した。
「ねえ、おなかすいたー!あさごはんわあ?」
「…………」
「ねえ、おきてよお。おなかすいたってばあ!」
「……ヒトちがいです。ワタシはくらげちゃんではありません。」
「ちがわないもん。ねえ、お・き・ろー!」
「…………ぐー、すぴー。」
しらばっくれる私をぐわんぐわんとユスル。もうだめだ。
「だあーっ!メシか?メシを食いたいとゆーのだなあっ、この欠食児童めが!安心せえぃ!もーほとんどできあがっとるわあっ!」
「わあー、おきたあ。ごはんだあ。」
そうなのだ。食材から調理法まで、今回食事の全権を担っているのはなんと私なのだ。したがって私が起きない事には何も食えない。
今朝の献立は豚汁うどん。健気なことに私と相棒は、ゆうべ、というより今朝、こうなる事を予想して泥酔状態の体に鞭打ち、豚汁の仕込みを済ませておいたのだ。コドモたちが居なければ決してあり得ない働きっぷりだ。バカ旅人どもも、やるときはやるのだ。
とはいえ、ヤケクソで起きたはいいが、二時間ほどの睡眠では、どうにも健全な人間とは程遠い。ゆうべの焚火の夢でも見ているのだろうか、シアワセの極みといった表情でスヤスヤと眠るせーやに、思い切り酒臭い息を「かあーっ!」っと浴びせかけ、いまだう~んう~んと唸っている相棒を「いつまでやっとんねんメシだよメシ!」と蹴り起こす。最終日の朝は、いささかササクレ立った気配を孕ませつつ、ダラダラと始まった。
朝食の味は申し分なかったが、夏の炎天下、しかもたっぷりと酒が残る体に、これほどふさわしくない食い物もない。メニューを考えた自分を呪いつつ、碗を前にゲンナリとへこたれていると、立て続けに賑やかな声が弾んだ。
「おかわりっ!」
ホント、コドモは強い。

食後、食器洗いの命を受けコドモたちと川へ向かう。
「いーい?ぬらしたらもう着替え無いからね!」
すかさず背後でキビシイ母の声が炸裂する。一昨日、まあやは沢で転び、パンツをぬらしてお目玉を喰らったばかりだ。
「おかーさん、すーぐおこるんだからもー。」
ぷりぷりとふくれながらナベをぶんぶん振り回し、やっぱりおもちゃみたいな足取りで川へと突進してゆく。
川の本流は意外なほど浅く、子供の膝下くらいしかなかった。水は冷たかったが、どこかやさしげで心地く、ここが里の川であることを教えてくれる。対岸には森が川岸まで迫り、その下は葦が茂る淵になっていた。
「むむっ!?」
葦の茂みは、魚の絶好の住み処だ。川育ちの私は黙っていられない。錆びついていた川っ子の血が騒ぎだす。隣でせーやも、同じ場所を熱心に見つめていた。
「いくか?」
「うん!」
久々の軽快な反応だ。しかし水温が低すぎるのか、目指す葦の茂みには小魚一匹いなかった。それでも網がわりのナベに入るヤゴやゲラなどの水棲昆虫に、せーやは夢中で見入った。
「うわー、コイツらなに?」
「トンボやカゲロウの幼虫。これが大人んなると空飛ぶの。」
「そうなん?スゲエ!」
「見たことないの?」
「うん。はじめて見た。スッゲエなあ。」
私達の時代には知らぬ者の居ない、コドモの一般常識だったはずだ。
そうか。彼の暮らす街に流れる川 ー 私を育てた同郷の川 ー は、もはやコドモを育てない、ただのコンクリートの水路になっちまったんだっけ。それにしても学校の理科の時間は、こんなご時世、なにを教えるのだろう?

その後コドモたちは、食器洗いの任務のことなどすっかり忘れ、意味もなく石を投げまくり、ナベの船を何度も流し、ペットボトルで潜水艦を作り、様々なアソビを次々と開発していった。
「おかあさんもよぼーよ。」
唐突にまあやが言う。
「そーだな。でも大声で呼ばなきゃ聞こえないよ。」
「なんてさけぼっかな?」
「ふつーにおかーさーん、じゃ、だめなの?」
「だめ。んーとんーと、なんにしよっかな……」
「おかーさんのおこりんぼお、わ?」
「やだ。んーとんーと………

 おかーさんわらってえーっ!」


堰堤によってできた小さな滝で、おもむろに頭を濡らす。散々太陽に焼かれ火照った髪に、心地よい冷たさが染み渡る。
「んわ~!きっもちいい~!」
もうこうなると、血が黙っていない。服のまま浅瀬に腰を下ろし、伸ばした足でバシャバシャと水を蹴る。ふと気付くと、隣でコドモたち二人は私に、羨望の眼差しを送っている。
「……はいっちゃえよ。いーじゃんぬれても。」
二人はおそるおそる母の顔を窺う。彼女は“まったくもう”といった視線を私に投げながらも、
「いいよ。思いっきりぬれな。」
と、どこかホッとしたような笑顔でコドモたちを許した。

「やった!」

その瞬間、二人のリミッターが音を立てて外れたのが判った。

はじけるように川に飛び込むせーや。
思う存分パンツをぬらすまあや。
一線を越えてしまえば、もう怖いものなどなにも無い。三人でバッシャバッシャと水を掛けまくり、全身ずぶぬれになると、長髪の私は貞子と化してまあやに襲いかかる。けたたましい悲鳴でヨロコビ逃げ惑うまあや。お次はコンビニ袋で水爆弾戦争が勃発だ。いきなりせーやの先制攻撃を受けた私は怒り、逃げる彼を鬼の形相で追い回す。300mあまりの執拗な追跡でついに追いつめると、観念した彼はすっかりカラになってしまった袋を奪い取り、汲んだ水を自らの頭に立て続けにぶちまけながら絶叫した。

「うわあーっ!たのしいーっ!」

押さえていたコドモゴコロがついにはみだした。
その笑顔には、八ヶ月前に見たギラギラが、あの時以上のチカラ強さでほとばしっていた。


純度100%の青空の下、河童と化して遊ぶコドモたち。
悠然と弧を描く鳶の声
飛来するアキアカネの群れ
熱い風
冷えた麦茶
入道雲
蝉時雨

それは私の思い描く夏の終わりの原風景そのものだった。
遠い昔になくしたはずの一場面。
それともそれは、心の中で勝手に描き出した理想の風景だったか。

“ぼくのなつやすみ”は、もういらない。

主人公のコドモたちは、ポリゴンで描かれたCGなんかじゃないし、
風も水も光も、すべてこの手で掴むことが出来る。


みずあそびの午後はいつだって、
鼻の奥に残る鉄の匂いと、
心地よい皮膚の気だるさの中で暮れてゆく。
しだいに白くかすんでゆく景色の中、
この時間が永遠に続けばいいと願いながら。

“ぼくのなつやすみ”はもういらない SCENE3 

ー 信濃大町近郊 高瀬川中流域 “せーや”の風景 ー

十一歳。
彼くらいの歳になると、自分を取り巻く環境、自分の置かれた立場、そして自分自身、様々なものが朧げに見え始めてくる。
“せーや”の変化も、そういった事と無関係ではないはずだ。


八ヶ月前初めて会った時、彼はよく澄んで黒々とした瞳を屈託のない笑顔の中でくるくると動かしながら、私を頭のてっぺんからからつま先まで隈無く観察した。恐らく彼は母に、昔のバカ旅仲間である私の奇行の数々を散々聞かされていたのだろう。その視線は、珍しい生き物を見る時のように“ナンダナンダ?”と好奇心を剥き出しにして、ねばっこく、かつ最大級の親しみを込めて絡みついてきた。
最近、“最大級の親しみ”といった気配より“最大級の警戒心”を張ってコチラの様子を恐る恐る伺う子供が多いので、彼が私の最年少の友人になるまで、極々僅かな時間しか必要としなかった。

翌日、私達は氷点下18℃の厳寒のテントの中に居た。装備も完璧、さほど山深くない場所で一泊のみとはいえ、強力に苛酷な旅であることに変わりはない。フォローには鉄壁の自信があったが、まったくの異世界と言っていい氷点下の野外生活が、果たして彼らの幼い精神にどのような影響を与えるのか、想像すらつかなかった。
しかし彼はこの旅を“クラスメート達はまず体験することの無いであろう冒険”として捉え、どんな状況下でも思いきり楽しんだ。その驚くべき順応力に我々大人は、
「やっぱコドモってスゲエや。」
と、呆れて呟くしかなかった。
彼は大人たちのバカ昔話にも、
「ねえねえ、むかしっからそんなバカなことしてたん?」
と、チカラ強い介入を図り、
我々はせーや主催深夜一時の大シリトリ大会に、
「なに“す”?ま~た“す”かヨォ。すぅーすぅー……“す”ねぇ…
 ……エート、エート………スカンジナビアオオハシブトガラス。」
などと答えて応戦した。

ムキダシのコドモゴコロは、
吹雪の真夜中に、よく食べ、よく寝、そしてギラギラと笑った。


ー その笑顔に若干の翳りが見え始めたような気がする ー
子供たちが寝ているテントを抜け出し、月夜に照らされた誰もいない草原で酒を酌み交わしながら、相棒と私は、今の彼に対し同じ印象を持っている事を知った。八ヶ月前とは確かに何かが変わっている。相変わらずよく笑う。しかし、喘ぎながら坂を這い登る不健康中年達をその新品小型軽量高出力の心臓でかるく置き去りにしても、頂上の小屋で心待ちにしていたソフトクリームを食べても、その笑顔にかつてのようなギラギラはない。話し掛けても「うん。まあね。」などと曖昧に答えて俯く事が多くなった。
「なんかさぁ、せーや、最近悩みでもあるんじゃねーの?思春期?」
夜更け、我々の酒宴に参戦してきた母に、私は無遠慮にそう切り出した。決して強気を崩すことの無い彼女が、少しだけ悲しげな笑みを浮かべた事を月明かりは決して見逃さなかった。
「イヤ、あたしがワルいの。
……イライラってさあ、子供に伝染るんだよねぇ。」

(……!ヤベ。これオレたちの立ち入るべきハナシじゃねえな。)
瞬間的に聞いた事を後悔しつつも、こんな時返すべき適切な言葉が見つからない。反射的に、
「……そっか。」
とだけ間抜けに呟いて黙り込む。
そしてタバコ一本分の沈黙。

「………まあ、……しょーがねーよ。」
そう言って相棒は残っていた酒を飲み干し、ゴロリと寝袋にもぐり込んだ。


翌日、我々は空が広く眺めの良い山麓の河原に根城を移した。ここでのメインイベントは焚火。この辺の河原は護岸工事が施されておらず、大量の乾いた流木が「さあどうぞ燃やしてください!」とばかりに転がっている。我々偏執的焚火愛好家にとっては天国のような場所だ。豊かな夜を約束されたも同然の状況に、我々大人の顔は自然とニヤケるが、果たして子供達はどのような反応を示すのだろうか……。

まあやは数時間で飽きた。しかしその夜せーやは唐突になにかに目覚め、深夜までひたすら火を燃やし続けた。我々の問い掛けにもほとんど答えず、無言で焔を見つめながら。それまで、どちらかというと集中力に欠け気味だったのだが、その時ばかりは単調な作業に深く静かに没頭していった。
とはいえ、焚火を長時間安定維持させるのは、実はかなりコツが要る。初めのうちは炎が弱まると私達が手助けをしていたのだが、彼はそのコツを見様見まねで覚え、最終的に自在に火勢を操るまでに上達した。
やがてその顔は、いつも我々が無心で焔に対峙している時と同じような表情になり、揺れる後ろ姿からは、達人の佇まいすら漂わせはじめた。そして頭上には零れ落ちそうな満月。さらに困ったことに背景はススキ野原。もう非の打ち所の無い、王道侘び寂的風景だ。しかし、その構図の核を成しているのは、あろうことか“半ズボンの小学生”なのだ。この冗談のような光景に、タバコをくわえたままあっけにとられていると、彼は突然振り向き“ヌッ”と薪を指し出し、我々のタバコに無言で火を付けてくれるのである。そして再び無言で焚火に振り返り、暫くするとふと思い出したように薪をくべてゆくのだ。
一連の行為に相棒と二人、冗談でなく後にひっくり返った。
「マイッタ。こりゃスゲエ。こーゆー状況ってアリ?」
「みたコトもきーたコトもねえ。」
「コイツ、ホントしょーがくせいだよな?」
「ああ。」
「これって、教育上よろしいコトなんだろーか?」
「さあ?」

よろしい訳が無い。どこの世に夜中まで焚火をくべ、無言で大人のタバコに火を差し出す小学生がいるというのだ。明らかに健全な小学生の行為ではない。保護監督責任者である我々の常識を疑われてもしかたがない。
しかし、学校で家庭で、正しい小学生を演じている子供達より、今の彼の方が遥かに正しい“コドモ”の姿に思えるのはなぜだろう。
ギラギラの笑顔がなくなっても、この風景の中の彼ならまだ大丈夫と無根拠に思えるのはなぜだろう。
寝ころんだまま彼に聞いてみる。
「なあ、せーや、焚火、オモシロイ?」
「うん。………オモシロイよ。」
「……なんでず~っと見てんの?」
「………火って生きモンみたいでスゲエから。」

ああ、大丈夫だ。彼の“コドモゴコロ”はまだ死んでいない。

少しシュールで可笑しくて、でもやっぱり切なく美しいその風景は、二人の酒をかつてないほどの旨酒に変えた。
そして午前二時、さしもの焚火少年もついに力尽き、糸の切れた操り人形となってテントに放り込まれたのだった。


「なあ?」
「ん?」
「子供からさあ、アブナイからってナイフとかライターとか隠しちゃうのってヨクナイと思わん?」
「……たしかにな。」
「ワシね、ガキの頃オヤジの彫刻刀イタズラしてて思いっきりユビ 切ってさ、それまで見たこともない真っ赤な血がドピューってふきだして……結局細めの動脈切っちゃったんだけどさ、それで、もータダゴトでないキョ~レツな激痛にのたうち回りながらもね、ああなんてキレイなんだろう、ヒトってこーゆーのがカラダん中流れて生きてるんだあ…って、なにやらこう…フシギな感動を憶えたね。」
「そーゆーケガって、オレらガキの頃なにかしらやってたよな。」
「今さ、いきなり人刺しちゃうヤツって多いじゃん?ひょっとしてそいつら、そーゆー痛みとか経験したことねーんじゃないの?」
「コドモにはいつもナイフを持たせるべし!」
「同時に責任も持たせるべし!」
「コドモのうちはどばどば指切るべし!」
「あいね。でもホント、ある程度は必要だと思うなあ。……な~んて今は言えるケドさ、ジッサイ親になってみたら、やっぱそーは思えなくなっちゃうんだろーか?ゼッタイ我が子にはキズひとつ付けさせないぞおっ!って、おとーちゃんがんばっちゃうのかねぇ。」
「……どーなんだろ。そりゃなってみないとわかんねーわなあ。
……て~か、こんなことしてて親になれんだろうか?ワシら?」
「ムリ。……でもやっぱ、アブナイから隠しましょーじゃ、なにも学べないと思うんだよね。大人が教える事放棄したら終わりだよ。それに今日せーやが焚火覚えたよーにさ、コドモってほっといても失敗したりイタイ目にあいながら覚えてくじゃん?そーゆー経験ってスゴーク大事な事だと思うんだよね。おお、いーことゆっとるなあワシ。」
「でもそーゆーのって、今の世の中誰が教えんの?親?学校?」

「……オレたちみたいなバカ、かな。……うおおおおかっこええ!」
「……ほんとバカだなオマエ。」


せーやが残した焚火はやがて最高の熾き火となり、
西の山々に沈みつつある白い月と共に、
しだいに崩れてゆく二人の酔話に静かに付き合い続けた。

“ぼくのなつやすみ”はもういらない SCENE2 

ー 本谷橋~横尾間 標高 1700m付近 “まあや”の風景 ー

小雨降る夕暮れ、コメツガの森を縫う道は驚くほどに暗い。早出早着きが鉄則の山歩きでは、この時間に歩いている人間は極端に少なくなる。聞こえるのは、遠い沢の音と、木を叩くキツツキの音、そして妙に現実的な自分の足音。日中、極彩色の陽光と喧騒に溢れた穂高へと続く道は、急速にそのあるがままの姿に戻りつつある。

こんな一瞬の空白ともいえる風景を“美しい”と思えるようになったのは、ごく最近のことだ。若い頃は体力にまかせ、飛ぶように先を急いだ。こんな寂しい所とは一刻も早くオサラバしたい、なんだって自分はこんな時間まで歩き続けているのだ!と、呪いながら。その目には、濡れた木肌のなまめかしさは映らないし、暗がりに潜む微かな生き物たちの気配も、決して耳には届かない。要するに怖いのだ。優しかった森が扉を閉じ、しだいに拒絶の気配を漂わせ始めるのが恐ろしかった。
“おまえ達の時間はもう終わりだよ。ヒトよ、早く己のねぐらに帰りなさい”
あの当時、黒々とした木々はそう告げている気がした。

その声が聞こえなくなるのに、人が成人する程の時間を要した。そうなって初めて、森の本質的な美しさは、こんな瞬間にあることを知った。速さが全てだった頃には、心に届かなかった風景。
(もったいなかったな)
同時に“枯れたな”と、苦笑いもする。風の如く野を駆けた脚も、今やただの木偶の棒だ。だが、それと引き換えに森が自分を受け入れてくれた。そう考えると、こんな心細い風景でも、なんだかウレシクなってしまうのだ。

そんな渋々妖しの風景に、切り抜いた様に鮮やかな黄色が咲いた。

“まあや”

その黄色いポンチョを羽織った小さな少女は、私の目の前をあまりにも頼りなげな足取りで歩いている。とことこ、とっとこ、ととととっ、調子外れだが、ひたむきにその歩みを止めようとしない。まるでゼンマイ仕掛けのおもちゃだ。扉を閉じつつある森の中ではあきらかに異質の存在だけれども、奇妙なリズムで揺れる濡れた黄色は、不思議な非現実感を伴いながら私の心深くで新鮮に映えた。さまざまな季節に幾度となく歩いた道だが、こんな幼い少女が歩いている光景を見たことがない。知り尽くしたはずのこの道の風景が、まったく別なものに変わった。

しかし、特別危険な箇所は無いとはいえ、山深い樹海の道は少女の場所ではない。しかも我々大人の三分の一程の歩幅しか持ちあわせていない彼女にとって、相当の負担を強いているはずだ。
ーからららららっー
「ホラ、まあや、今の聞こえた?あれ、キツツキさんだよ。」
少しでも気を紛らわせてあげようと声をかけるが、彼女は答えない。
無理もない。
今の彼女もまた、その目になにも映らないし、なにも耳に届かないのだ。彼女の歩を進ませている唯一の原動力は、遥か先を行く、決して自分のことを振り向こうとしない(かなり極端な自立主義の)母に一刻も早く追いつく、その意地にも似た思いだけだ。冷たいとすら思える母のその行動を、父親役もこなさなければならない母の辛さを、彼女は彼女なりの幼い思考で理解しようとし、必死にそれに答えるべく歩いているのだ。

深く暗い森の中に浮かび上がるその黄色は、
あまりにも切なく、美しかった。

「……なんなのだろーか、この光景は。」
隣で相棒がボソッっとつぶやく。
「……こんな風景、見よーと思って見れるもんじゃねーよな。」

「……オレ、涙でそーなんですけど。」

一刻も早くこの森を抜けたいと願っているであろう彼女も、
いつしか森は風景のひとパーツとして、
あやしく、そして優しく受け入れていた。

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