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“ぼくのなつやすみ”はもういらない ENDROLL 

後書き……になるのかね?

自分のハマリやすい性格上、プレステ2など手に入れた日にゃ、仕事もせずメシも食わず一歩も外に出ず、ひたすらTVの画面と向き合い続ける事になるだろう。100%の自信をもってそー思えるので、その手のモノには“いげねえ。絶対手ぇだしたらなんねぇ”とゆー掟を作っていた。
だがその誓いは、ワシの琴線を揺さぶるみりき的なソフトが発売されるたび、大きくぐらつくのだ。中でも最大のピンチだったのが、この“ぼくのなつやすみ”シリーズだった。これにはかなりの勢いでやられ、真剣にプレ2の購入を検討した。コイツは男ゴコロ、そして死にきれずに残っているコドモゴコロをピンポイントでくすぐる、禁断の最終兵器なのだ。ワタシの周りでも「そう!これ!やったよなあ~こーゆーの。なっつかしいなあ……」と、ヒゲのイカツイおっちゃんどもが、遠い目をしてハマリまくっている。

だがある日、ふと思った。
おっちゃんどもが昔を懐かしんでハマルならハナシはわかるけど、
(それもよく考えるとかなり後ろ向きでブキミだが)
こーゆーゲーム、コドモはどーゆー気持ちでやってるんだろう?
いや、普遍的なコドモアソビをシュミレートしてるんだから、絶対ハマルはずだ。ひょっとしたら、マジで夏休みじゅうモニター内に繰り広げられるバーチャルな野山を駆けずり回っているかもしれない。
でも、それってどーなんだ?
その子達は本物を知ってんのか?

こりゃいけねえと思いましたね。よくバイオハザード系の残虐性の高いゲームが槍玉にあがってるけど、そーゆー「明確なウソ」とワカるものより、こっちの方が始末が悪い気がする。
今回の旅で体験したよーに、ちょっと田舎に行けば、まだまだそんな景色は沢山残ってるし、いくらでもコドモアソビは出来る。なのに、バーチャルの代理体験の方が先にきてしまう。あるいはその方がお手軽で良い、濡れないし汚れないしサカナコワくないし、などと思っているかもしれない。
SCENE4でも少しふれたけど、そこには肝心の手触りがないんだよ。風や水の温度も、登る木の感触も、捕まえた虫や魚が手の中で暴れる力強さも。
しょせんはカタログ。見ただけで、やった気になってはイケマセン。
コドモにそーゆーカンチガイをさせちゃイケマセン。
“ぼくのなつやすみ”は、そっこくR指定ロマン汁おやぢ専用にしたほーがよい。わたしゃもーいらないケドね。


この旅で見た印象深い風景の数々は、ワタシに大きな影響を与え、そしてその中心には、いつもコドモたちがいた。
正直、“コドモ”という存在について、ここまで深く考えたことはなかった。これまで、ワタシの目に映っていたのは、都市の中で流れてゆく子供という“記号”でしかなかった。だがひとたび都市を離れ、今回のようなプリミティブな旅をしていると、子供達は明確な“個”を持って、生き生きと風景の中を動き始める。そこには“~の子供”というフィルターは存在しない。せーやはせーやであり、まあやはまあやでしかないのだ。オリジナリティあふれる、ひとつの人格を持った“コドモ”。その彼らのユニークな発想、微妙に揺れる感情に、ワタシの心はキッチリと捕らえられてしまったのだ。

何度でも言うが、やっぱりコドモはスゴイ。
我々が学ぶべきコトは、山ほどある。


せーやのコドモゴコロは、それが自然な流れであれ、不条理に押しつぶされてしまうのであれ、あと数年で消えてゆくだろう。せっかく見つけた、新しい旅の相棒は、すぐにいなくなってしまうのかもしれない。悲しいけど、それはそれでしかたがない。彼は自分自身のフィールドを見つけて生きてゆくのだから。
でも、願わくば彼の中でこの旅の風景が、とりわけ押さえていた自分を解き放ち、水をぶっかぶりながら絶叫したあのシーンが、思い出深いものとしていつまでも残っていて欲しい。
ロマン汁おやぢの、勝手な感傷ですが。


ありがとね、コドモたち。

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