スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

“ぼくのなつやすみ”はもういらない SCENE2 

ー 本谷橋~横尾間 標高 1700m付近 “まあや”の風景 ー

小雨降る夕暮れ、コメツガの森を縫う道は驚くほどに暗い。早出早着きが鉄則の山歩きでは、この時間に歩いている人間は極端に少なくなる。聞こえるのは、遠い沢の音と、木を叩くキツツキの音、そして妙に現実的な自分の足音。日中、極彩色の陽光と喧騒に溢れた穂高へと続く道は、急速にそのあるがままの姿に戻りつつある。

こんな一瞬の空白ともいえる風景を“美しい”と思えるようになったのは、ごく最近のことだ。若い頃は体力にまかせ、飛ぶように先を急いだ。こんな寂しい所とは一刻も早くオサラバしたい、なんだって自分はこんな時間まで歩き続けているのだ!と、呪いながら。その目には、濡れた木肌のなまめかしさは映らないし、暗がりに潜む微かな生き物たちの気配も、決して耳には届かない。要するに怖いのだ。優しかった森が扉を閉じ、しだいに拒絶の気配を漂わせ始めるのが恐ろしかった。
“おまえ達の時間はもう終わりだよ。ヒトよ、早く己のねぐらに帰りなさい”
あの当時、黒々とした木々はそう告げている気がした。

その声が聞こえなくなるのに、人が成人する程の時間を要した。そうなって初めて、森の本質的な美しさは、こんな瞬間にあることを知った。速さが全てだった頃には、心に届かなかった風景。
(もったいなかったな)
同時に“枯れたな”と、苦笑いもする。風の如く野を駆けた脚も、今やただの木偶の棒だ。だが、それと引き換えに森が自分を受け入れてくれた。そう考えると、こんな心細い風景でも、なんだかウレシクなってしまうのだ。

そんな渋々妖しの風景に、切り抜いた様に鮮やかな黄色が咲いた。

“まあや”

その黄色いポンチョを羽織った小さな少女は、私の目の前をあまりにも頼りなげな足取りで歩いている。とことこ、とっとこ、ととととっ、調子外れだが、ひたむきにその歩みを止めようとしない。まるでゼンマイ仕掛けのおもちゃだ。扉を閉じつつある森の中ではあきらかに異質の存在だけれども、奇妙なリズムで揺れる濡れた黄色は、不思議な非現実感を伴いながら私の心深くで新鮮に映えた。さまざまな季節に幾度となく歩いた道だが、こんな幼い少女が歩いている光景を見たことがない。知り尽くしたはずのこの道の風景が、まったく別なものに変わった。

しかし、特別危険な箇所は無いとはいえ、山深い樹海の道は少女の場所ではない。しかも我々大人の三分の一程の歩幅しか持ちあわせていない彼女にとって、相当の負担を強いているはずだ。
ーからららららっー
「ホラ、まあや、今の聞こえた?あれ、キツツキさんだよ。」
少しでも気を紛らわせてあげようと声をかけるが、彼女は答えない。
無理もない。
今の彼女もまた、その目になにも映らないし、なにも耳に届かないのだ。彼女の歩を進ませている唯一の原動力は、遥か先を行く、決して自分のことを振り向こうとしない(かなり極端な自立主義の)母に一刻も早く追いつく、その意地にも似た思いだけだ。冷たいとすら思える母のその行動を、父親役もこなさなければならない母の辛さを、彼女は彼女なりの幼い思考で理解しようとし、必死にそれに答えるべく歩いているのだ。

深く暗い森の中に浮かび上がるその黄色は、
あまりにも切なく、美しかった。

「……なんなのだろーか、この光景は。」
隣で相棒がボソッっとつぶやく。
「……こんな風景、見よーと思って見れるもんじゃねーよな。」

「……オレ、涙でそーなんですけど。」

一刻も早くこの森を抜けたいと願っているであろう彼女も、
いつしか森は風景のひとパーツとして、
あやしく、そして優しく受け入れていた。

スポンサーサイト

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://cooya2.blog13.fc2.com/tb.php/41-ab07d6e9
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。